認知症の母親に翻弄される私の毎日~GPSとパトカー、そしてハチマキで発見!徘徊3回目の警察案件~

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認知症の母に翻弄される毎日

私の母は83歳。

認知症を患いながらも足腰は驚くほど丈夫で、最近では「徘徊(はいかい)」というよりも、まさに「遁走(とんそう)」と呼ぶべき行動を繰り返しています。

徘徊というと、ノロノロと歩き不安げな表情をしてる姿を思い浮かべますが、そのイメージに限りません。

スタスタと、迷っている雰囲気も出さず歩き続けるのですから、私が思うには「遁走」なのではないかと・・・

遁走(読み)トンソウ 逃げ出すこと。逃がれ去ること。逃走

引用元:コトバンク

先日も母が家を出て行方が分からなくなり、最終的には警察とGPSの力を借りて駅のホームで保護されました。

発見の決め手となったのは、母の「トレードマーク」ともいえるハチマキ姿でしたが、その裏には母が抱える「できるはず」という思いと現実とのギャップがありました。

目次

GPSと警察のチカラ:駅のホームで発見

GPSと警察のチカラ:駅のホームで発見

バスに乗って駅前のスーパーに行く

と出かけたのは午前9時前のこと。

それから1時間以上たっても帰宅しないので、スマホで母のGPSを確認したら、全く違う場所を示していました。

母にとっては、縁もゆかりもない方向に向かっており、交通量の多い国道を移動していました。

まずはケアマネさんに電話し事情を伝えて、警察に連絡・・

あきな

もうこれで3回目だ、警察のお世話になるのは・・

たまたま付近を巡回中のパトカーがいるということで、私もパトカーに同乗して捜索に加わりました。

母に持たせていたカードタイプのGPS、その位置情報を警察官とリアルタイムで共有。

「今は駅の方向に向かっている」という情報をもとに駅周辺を重点的に探し始めました。

そして、GPSが示した駅のホーム付近を確認したところ、特徴である「ハチマキ姿」の母を警察の方が見つけてくれました。

母はホームで電車に乗ろうとしていたようですが、どこに行こうとしていたのかは本人も覚えておらず、ただ「出かけたかった」とニコニコ話していました。

母の「できるはず」という気持ち

母の「できるはず」という気持ち

今回の件を振り返ると、前日との対比が頭をよぎります。

実は前日も母は「バスに乗って駅前のスーパーに行く」と言い、本当に買い物を済ませて無事に帰宅していました。

この行動を見て、「まだ母にもできることがある」と少し安心していた矢先の出来事でした。

その安心感が、今回の遁走を防げなかった一因かもしれません。

母にとって、「昨日できたこと」は「今日もできる」という自信に繋がっているようでした。

しかし、認知症が進行する中で、その日常行動が迷子や危険な状況に変わるリスクがあることを改めて痛感しました。

母のハチマキ姿に救われる

母のハチマキ姿に救われる

母は季節に関係なく、いつもハンカチを頭に巻いてハチマキのようなスタイルをしています。

正直に言うと、私はこの姿が好きではありませんでした。

どこか奇抜で周囲から浮いてしまうように思えて、どうにかならないか?と感じていました。

しかし今回、母を発見する上で、このハチマキ姿が大きな手助けになりました。

多くの人が行き交う駅のホームで・・

警察官

頭にハチマキを巻いた高齢女性

という特徴をもとにすぐに母を見つけてくれたのです。

母の個性的な姿が、結果として「命綱」になった瞬間でした。

普段では母のハチマキ姿が、これほど重要な役割を果たすとは思いもしませんでした。

今では「あのハチマキが母を見つける手がかりになる」と思うと、少しだけ愛着すら湧いてきますし、母の「独特なスタイルも大切な個性だと受け入れつつあります。

愛着が湧く・・とは言い過ぎました。生温かい目で見れるようになりましたが、的確な言葉です

同じように認知症の親を介護している方にも、目立つ特徴を持たせることや周囲の力を借りることの重要性を伝えたいです。

日常行動と介護者の課題

日常行動と介護者の課題

認知症の母にとって、「自分はまだできる」という気持ちは大切だと思います。

しかし、それがいつ「できるはず」から「危険な行動」に変わるかは、私たち介護者には予測がつきません。

前日はできたことが、次の日には迷子や徘徊、遁走になってしまう。

このギャップを埋めるためには、物理的な対策(GPSや鍵の設置)だけでなく、慎重に見守ることが必要だと感じます。

GPSの重要性を痛感

GPSの重要性を痛感

今回の件では、GPS端末がなければもっと発見が遅れていたかもしれません。

認知症の親を抱える方には、迷わずGPSを導入することを強くおすすめします。

小型のカード式であれば普段必ず持ち運ぶ物(お財布など)に忍ばせておけるので、万が一の場合の捜索が格段にスムーズになります。

黒いカードタイプのもありますが、私は断然「白」または「シルバー」がオススメです。

なぜなら・・

白いカード型は、表裏両面に油性ペンで本人の名前、緊急連絡先、住所、電話番号、生年月日、血液型などを書き込めるため、万が一の時にも安心です。

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ますます高齢化する日本では、自治体単位で導入して欲しいアイテムでありシステムだなと思います。

母の行動を「徘徊」というより「遁走」と感じる深い理由

母の行動を「徘徊」というより「遁走」と感じる深い理由

徘徊が「行き先がはっきりせずにさまよう」というニュアンスを含むのに対し、「遁走」という言葉にはより能動的で目的を持った、あるいはエネルギッシュな逃避行動を示唆するニュアンスがあります。

目的意識があるように見える

母が「駅前のスーパーに行く」「バスに乗る」といった具体的な行動をとっていることから、徘徊ではなく「どこかに行こう」という明確な意志が感じられるため、「遁走」という言葉がより合うように思えるのかもしれません。

身体能力が高く、行動が素早い

母が足腰が非常に丈夫で、速いペースで行動することも、「徘徊」のイメージより「遁走」のエネルギッシュなニュアンスに近いと感じる一因かもしれません。

予測困難な行動パターン

「遁走」という言葉には、突然の逃走や予期しない行動という意味合いも含まれています。

日常的な徘徊とは異なる、意外性や突発的な要素が強調される行動が母に見られるからなのではないでしょうか。

私の決意

私の決意

今回の出来事は、母の「できる」という気持ちと現実の難しさを改めて考えさせられる機会となりました。

そして、母のハチマキ姿が、私にとって少し特別なものに変わった瞬間でもあります。

母と向き合う毎日は・・こっちが逃げ出したいと思う連続です。

同じような境遇にいる方々とつながり、少しでも支え合える場を作れるよう、このブログで自分の経験をシェアしていきます。

まとめ:認知症の親との暮らしから感じる「終活」の必要性

まとめ:認知症の親との暮らしから感じる「終活」の必要性

認知症の親との暮らしは、日々予測不能な出来事の連続です。

その中で、介護者としての自分がこれからどのように年齢を重ね、どのような老後を迎えるのかを考えざるを得ません。

私自身、母の行動に振り回される日々の中で、自分の将来について強い不安を感じるようになりました。

あきな

同じものを2つ買ったりとか・・危険な兆候?

認知症になるリスクは誰にでもあり、避けられない可能性の一つです。

そのとき、自分がどのような生活環境にいるのか、誰に支えてもらうのか、あるいは支えてもらえる準備をしているのか。

これらを考え始めると、「今から終活を進めることの重要性」に気付かされます。

私がなぜ「認知症」と「終活」をリンクして考えるようになった理由

終活は、決して「最期の準備」だけではありません。

それは、自分らしい人生を生き抜くための計画であり、家族や周囲の人々への感謝を形にする手段でもあります。


母を介護する日々を通じて、私は自分の未来に向けて「自分の望む生き方・終わり方」を具体的に考え、形にしていきたいと強く思っています。

認知症の親と暮らす中で見えてきた課題や思いを、これからもブログを通じて発信し、同じような悩みを抱える方々の参考になれれば幸いです。

そして、何よりも「今の自分」を大切にしながら、未来に向けた準備を少しずつ進めていきたいと思います。

 

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